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茶飲料の市場開拓 本庄正則・伊藤園会長が死去

伊藤園会長の本庄正則(ほんじょう・まさのり)氏が二十二日、呼吸不全のため死去した。六十八歳だった。自宅は横浜市磯子区磯子台4の8。告別式は近親者のみで行った。社葬を行うが日取りなどは未定。葬儀委員長は本庄八郎同社社長。喪主は長男で同社専務の大介氏。

一九五九年(昭和三十四年)に早稲田大学を卒業後、自動車販売のセールスマンなどを経て三十二歳の時に伊藤園の前身となるフロンティア製茶を創業。一代で茶飲料のトップメーカーに育て上げた。

六九年に仕入れ先だった茶葉メーカーから「伊藤園」の商号を買い取り、本格的に茶葉の生産販売を開始した。日本で初めて中国の烏龍茶の販売を手掛けたほか、烏龍茶や煎(せん)茶を缶に入れて販売するアイデアを立案。「お金を出してお茶を買う」という新しい消費形態を生み出した。

缶入り緑茶などで次々とヒット商品を生み出し、現在の主力商品「おーいお茶」のヒットは近年の茶飲料ブームの火付け役となった。八八年に弟の本庄八郎氏に社長を託した後も会長の立場から同社を支えた。

卸を通さず小売店と直取引する販売形態や、自社工場を持たずに全国の協力工場を組織する「ファブレス経営」などの経営手法でも先見の明があった。東京商工会議所の副会頭などを務め、故・小渕恵三元首相や東急グループの故・五島昇氏など幅広い人脈も培った。

伊藤園は九二年に店頭上場し、九八年には東証一部に上場。創業以来ほぼ一貫して増収増益を続けているが、「敗因は得意な時にあり」と社員にハッパをかけ続けた。

 挿絵(本庄正則様顔写真)省略

  2002/07/24 日経産業新聞より
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